エ ッ セ ー


今月は、中西 恭さんのエッセイを取り上げました。

  ノンフィクションのエッセーだそうです。


《プロフィール》

中西 恭さんは昭和9年生まれの66歳です。
会社を定年退職された後、趣味の随筆を書かれています。
神戸新聞文芸欄にもたびたび投稿され、掲載されています。
数ある作品のうち、神戸新聞に掲載されていないものを譲ってもらい、
ここに発表させて頂きました。






「随筆をお書きですの」


 私は、毎日3時間は散歩を楽しんでいる。
 会社勤めをしていた数年前までは、車が頼りの生活で、長時間歩くなんてことは、苦痛以外の何物でもなかった。  その私が、雨の日も風の日も、自宅のある春日野道からハーバーランドまでの往復を、時間をかけて
歩いている。 それも気分爽快にである。 
こうなるまでには、それなりの理由があった。
 事の始まりは、5年前に遡る。 右眼の痛みが止まらず、眼科に軽い気持ちで飛び込んだ。
医者は診察を終え、おもむろに私に告げた。 「右眼は単なる逆睫毛ですから、すぐ治ります。 しかしそれよりも、眼底動脈に著しい変化が見られます。 出来るだけ早く循環器科のN先生に、診察して貰って下さい。」
 ところが実は、既に10年程前に心臓病で他の病院に入院したことがあった。 だが、退院後の通院が2ヶ月に1回となった時に、予約日を忘れ、気付いた時は数日経っていた。

 気まずさと、当時は離婚後の独り身だったから、「生」に対して余り執着しておらず、以後通院しなくなっていた。 今回は、その時以来の診察である。  恐る恐るN医院に行き、院長先生の診断を受けた。
「喫煙されているそうですが、今から禁煙して下さい。 それに毎日欠かさず、最低1時間は歩くこと。 この2つは必ず守って下さい。」
 院長先生に守ると誓ったものの、禁煙には「いらいら」の禁断症状が伴い、それが無くなるまでの半年間が、とても苦痛であった。 それ以上に辛かったのは、1日1時間の散歩を続けることであった。 
しかし、私が再婚であり、持病のことも承知の上で一緒になった妻を思えば、何としても長生きをしなければ、申し訳が立たない。 苦痛でしかない毎日の散歩を続けるために、何としても楽しいものにしたい。 そう考えた末、日替りのお洒落を、散歩で楽しんだ。
 定年退職して無職の身、だからと言って背広やネクタイを眠らせておくのは勿体ない。 惜しげもなく、ブランド物も散歩に着用した。
 今や、医者に指示されたからでなく、健康のため致し方なく散歩している意識はない。
美しさを取り戻した商店街を、時には山の手から港を眺めながら、まれには波止場の鴎と戯れて、ハーバーランドに辿り着く。 このような散歩が、結果として健康に繋がっていればそれでいいと思っている。

 或る日、散歩途中の南京街の近くで、洒落た喫茶店を見付けた。 落ち着いた雰囲気と旨いコーヒー、いつしか2階奥の片隅が、私の定席となった。 そこが、私の趣味である随筆を書いた後の推敲をするには最適と思われ、原稿と赤のボールペンを持参するようになった。 推敲で赤色が混った原稿を、自宅で清書して再び訪れる。 また推敲する。 辞書を片手に字を書くことは、ぼけ防止にもなるから、苦にはならない。 このようにしてから、散歩が更に楽しさを増したのは、確かである。

「随筆をお書きですの」、眉目秀麗なご婦人が、私に声を掛ける。 これが切っ掛けでお茶飲み友達になる。 そのような日があることを夢見て、今日は茶色の羊皮のジャケットに、原稿と赤色のボールペンを忍ばせている。



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